かなり長くなると思うが、
プロレスとの思い出について話してみたいと思う。


俺は好きなものを3つ上げろと言われたら
タバコ、音楽、プロレスと、間違いなく言うぐらい
プロレスはガキの頃から大好きである。

元来、飽き性の俺が未だにガキの頃から愛してるのがその3つで
その中でもプロレス好きは一番長い。


プロレスを始めて見たのは小学校2年か3年頃。
時代は平成になったばかりの頃で、
当時、親父が見ていたプロレスを何気なく一緒に見ていた。

まだ猪木も馬場も一線でやっていた時代で、
ブッチャーがフォークを持って対戦相手の額を割って
血まみれにする度に、お袋は俺に見せるのを嫌がっていた。

親父は特に誰のファンというのは無かったようで、
新日本も全日本も毎週見ていたし、
布団の上でプロレスごっこをよくしていた。

その頃、プロレスがまだよくわかってない俺が
興味をもったのは、今は亡きジャンボ鶴田の圧倒的なカリスマと、
ブルロープを振り回しながら客に毒づき入場してくるハンセンだった。
とにかくこの二人の試合は毎週噛り付いて見ていた。

いつしかプロレスの魅力にどんどん引き込まれていき
段々とルールやレスラーの名前も覚えるようになっていった。

しかし、その後プロレスで衝撃を受けたのは、
たけし軍団がとある外人を連れて、試合に乱入してきた時だった。
この男が、その後の日本プロレス界を圧倒的パワーで席巻したベイダーである。

ベイダーの余りの強さとパワーに、見ていた俺は痺れた。
ようは、鶴田、ハンセン、ベイダーという
パワー系でカリスマ性の高いレスラーが大好きだったわけだ。

中学の頃になると、馬場と猪木はメインを張ることも減り
偉大な二人の遺伝子を継ぐ、第二世代のレスラーと、
四天王と闘魂三銃士が台頭する第三世代の時代へと変わっていく。

新日本では、長州や藤波ら第二世代と、
武藤、橋本、蝶野ら三銃士が世代闘争を繰り広げ、
全日本では、鶴田、天龍らと、
二代目タイガーマスクから素顔に戻った三沢、
小橋、川田、田上ら四天王が
同じく世代闘争を巻き起こしていた。

この頃には、親父がプロレスを段々と見なくなったが、
一人でTVの前でプロレスを見ながら興奮していたのを覚えている。

既にプロレス界の情勢も理解できるようになり
新日と全日のレスラーは不可侵だったり、
スタイルや色が違うことも分かりだした頃。

プロレス中継は、新日も全日も当然毎週見ていたが、
王道を貫く全日本より、派手な演出をする新日本のファン贔屓になっていた。
何より三銃士、特に武藤とグレートムタの大ファンだった。

学生時代は、ファミコンで初めて発売されたプロレスゲームから
プレステまで、出るプロレスゲームは、団体問わずほぼ全て買っていた。
新日本、全日本、UWF、女子プロ、WWFなど。

高校に入って、それぞれ地元のツレが別の高校に進学しても
学校が終われば、毎日のように俺の家に集まってプロレスゲームをして、
週末はプロレス中継に夢中になり、プロレス会場に足を運んだ。
勿論、毎週プロレス雑誌も買っていた。

この頃になると、団体を問わず全てのプロレスに興味があり
先にゲームでも述べたとおり、新日、全日、UWFからインディー系
女子プロレスや海外のWWFまで、見れるものは全て見ていた。

学生時代で衝撃を受けた試合と言えば、
ハンセン対ベイダーの試合も個人的にベストバウトだが、
リアル会場で見た中で衝撃だったのは、
ライガーの秘技といわれた、スターダストプレスを見たことかもしれん。

しかし、ダントツで一番鮮烈に印象に残っている試合は、
やはり新日本対Uインターの全面戦争で、
武藤が高田を破った試合以外は考えられない。

だいぶ長くなったので、一旦ここで終了して
後日、また書きたいと思います。

この後、プロレス界は日米問わず大きく揺れ動き
俺の中のプロレスというものの見方も
大きく変わって行った頃なのでキリもいいだろう。

ということで、多分続く。


0 コメント:

コメントを投稿